ほめる力を読んでいます!

 みなさん、こんばんは!なんとかなるさのお時間です。

 

2日前に齋藤孝さんのほめる力という本を購入しました。本の題名を見たときにほめる力とは何ぞやと思い、とりあえず目次に目を通しました。

 

驚いたのはほめるのに必要な視点の広さや数で目次を読んでいるうちに僕の生活の中で誰かをほめたり、「よくやったぞ、自分!」なんて思うことはほとんどないことに気づきました。

 

もうそうなるとこの本から手が離せなくなって購入するに至りました。

 

 少し前にメンタリストのダイゴさんの速読術の動画を見て最初から読まなくてもいいことを学んだのでこの本を好きなところから読むことにしました。(目次に目を通す重要性もダイゴさんから学びました。)

 

 

ほめる力の中にこんなことが書いてありました。教師たちがICTを活用して授業をしていることに対して自分が教師となったらどのようにICTを活用するのかを考えてみなさいと。(これについて自分がどう考えているのかを整理するためにブログを活用することにしました!)

 

僕は学校の授業でICTの活用にあまりよく思っていない人なんです。というのも、ICTでは画面が変わると前の画面の内容が確認できなくなり理解することが難しくなるからです。

あなたの実力不足だと言われるとそこまでなのですがこのような生徒がいることも想定してICTの活用の仕方を模索するのは決して悪いことではないと思うのです。(僕がICTを好きになるには画面が変わりそうだなと思ったら一旦目をICTから離してどんなことが書かれてあったのかを思い出してみるという手があったのではないかと思います。)

 

話を戻して僕だったら授業の中でどうやってICTを使おうかと考えてみました。まず、授業の中で出てくるキーワードはICTの中に書き込むことはしないなと思いました。

ええ、僕が苦い経験をしている者ですから。

そして、授業の中で出てくるキーワードは黒板に書いて授業と関係のある話題や画像はICTを活用してみんなに見せたいなと思いました。口頭でいちいち授業と関係のある話題や画像を説明していくと授業が進まないなと思ったからです。

ここまで書いて気づいたことはじゃあ授業ででてくるキーワードが多かったらどうするんだということです。

どうしよう...みんなの手元に授業全体のキーワードがみれるプリントがあれば黒板で消して書いて消して書いてということができるのではないかと思いました。じゃあ、教師になったら毎回黒板にたっくさん書きますか?と言われればぐうの音も出ません。

 

古文の先生が授業前に授業で扱う本文を黒板に書いていた姿が思い出されて感謝で胸が詰まるのを感じています。物理の先生は僕の思うICTの活用の仕方にとても似ているなというかこの授業からICTの活用の仕方についての自分の考え方が出てきたのではないかと思います。モニターに映し出される物理現象に「うわー、すげ~な!」となったことも思い出してきました。(古文の先生も物理の先生も僕の恩師です!)

 

あ、そういえば古文の先生は重要なところは口癖のように話されていたことを思い出しました。毎回黒板に書くよりはいいのかもしれませんが僕だったらみんなわかってるだろうなとか思って言わないと思うので、重要なことを何回も話すことはICTとは関係ないのですが授業をする側に立った時には参考にしたいです。

 

ICTに授業のキーワードを盛り込んでいる先生と恩師の授業を比較してみると表現の幅が違うのではないかと思ってきました。ICTに授業の何から何まで書いていた先生はICTを台本にして話されているなと思うことが多かった気がします。(ICTが嫌いなバイアスがかかっているからでしょうか?)ICTで授業のキーワードの説明に使われる語彙力が減少するのならそれはとてももったいないことだなと思います。

 

一方、恩師の授業は授業のキーワードを教科書でいったん確認した後に自分の言葉で再び説明して問題を解かせたり授業のリズムを作っていた気がします。

 

教師の立場でICTを見ると恩師のありがたさやICTの活用について考えることができたのではないかと思います。

終わり方が雑になりましたが最後まで見ていただきありがとうございました!

psこんなに長い文章は初めて書きました。よくやったぞ、自分!

 

 

思い出したよ!僕のエゴ。歌詞だ!

どうも、何とかなるさです!前回の記事にさらっと出して終わった話題のことになります。前回、嫌いな性格になったことを自覚したときにその嫌いな性格を持っていた他人のことに共感を持ち始める己のエゴ、とだけ書いて具体例が出てこなかったんですが思い出しました。

(僕は人の性格というのは人の物事の受け取り方、対処の仕方、行動パターンから決まっていくと勝手に思っています。)

役立たずな過去の思い出を引っ張ろうと思う。

クラスであまり目立たない人。休み時間には寝てたり、友達となにやら机に落書きをしている。その机を通り過ぎるときに、机に目をやると歌詞が書かれていた。その人がいないときには机に何が書いてあるのかまじまじと見ていた。僕にとってその曲は多分、聞いたらこれかぁ~と思うような曲だった気がする。

僕には歌詞を書いてなにがいいのかなって思っていてその人を知らないという身勝手な理由で僕の嫌いな人にしていたのかもしれない。歌詞で印象的な言葉を聞き重ねるうちに歌詞を書いた人の感性が気になってたまらなくなる。頭の中で考えても一人では歌詞を書いた人の感性には近づけやしない。机に書いて側にいる人と歌詞への思いについてあれこれ言うのはきっと楽しい!「僕も混ぜてよ」と過去のあの人に伝えたけれど僕の思いは過去の僕が見た映像に馴染まない。

すみません、なんか(ある意味)すごい文章になってしまっていました。さっきもあったように、歌詞がどんな思いや気持ちで生まれたのかを考えることは面白いことだと思いました。実は僕もまだこういうことはしたことがなくて、ブログでやろう!と思い立っていたのですが著作権が怖いのでやめときます。作詞家ってどんな感覚で詞を作っていくんですかね…。歌詞の言葉は人と人との心理的な壁をなくしてくれるような気がしたり、曲のリズムは体のどこかに沈んでいた活力を引き上げてくれるような、そんな気がします。歌詞はなにか満たされない心の埋め合わせをしてくれているなんて考えはどうでしょうか?

が~、眠い。じゃ、今日はこの辺で。最後まで見てくれてありがとうございました。

 

 

 

 

自己分析ってなんのためにするのだろう

どうも、何とかなるさです!グーグルの記事で「自己分析はするべき」や「自己分析は必要ない」っていうタイトルをみたことが何度かありませんでしたか?

僕はこういう記事は読んでて頭が痛くなるので全力で飛ばし読みをするのですが、今になってどんなことが書いたあったのか、気になったのです。気まぐれなので少しだけ自分で考えてみようかなと思ったわけであります。現段階では自己分析いらない派です。書いていくうちに心変わりするかもしれません。

自己分析をする理由は、自分の関心・興味を把握して進路がこれでいいのかを確かめる手段になるからかなと思います。模試の後に自分が何に向いているのかを調べるマークシートがあったような・・・。就職の際にもこういうのってあるんでしょうか?

自己分析は不要だと思うのは、たいていの人には心変わりがあるからだと思います。模試の後のマークシートの結果は受ける度に変わることがあったので友達と話すいい話題になっていました。

僕が読んで考え方が柔軟になった本、Think clearlyには自分の気持ちはあてにならないので重要視するべきではないとありました。我々は他人の気持ちの方が自分の気持ちよりもはるかにわかる。その章は「ビッグバーガーを食べてどんな気持ちになるかよりもビッグバーガーに何が挟まれているかの方が分かる」という言葉で締めくくられていました。

なら、マークシートは他者(多分コンピュータ)が見てくれているので自己分析の意味はあるじゃないかという話になるわけですが、心変わりは間欠泉のように起こるので自己分析が必要な人はなんだか天気の変化に敏感な性格の持ち主のように見えます。

ここまで書いて思ったのは根拠や理由がちょっとふにゃふにゃに見える(ちょっと自己分析してるし笑)ので例の記事を見ようと思いました。

 

理由を知らないことへの懺悔

今日、本当に書きたかったのはここからの話で、いい感じにつながりました(たぶん)

人の性格って案外変えようとおもえば変わると思ってます。人の性格はその人の物事の受け取り方、対処の仕方、行動を総じたものなので。天気の変化に敏感な性格・・。このようなタイプにはあったことがないのでわかりませんがこれは置いといて。

嫌いな性格って皆さんもきっとありますよね。なんでそのような物事の受け取り方なのか、なんでそのような対処の仕方をするのだろう、・・・。これは人に影響されやすい僕だけでしょうか?嫌いだったはずの性格になってしまったことがあるというのは。

嫌いな性格になったことを自覚したときにその嫌いな性格を持っていた他人の事に共感を持ち始める己のエゴ。さてはこのエゴイズムは容認されうるものなのでしょうか?

 

まあ、今日はこの辺で。最後まで見ていただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

アインシュタインは相対性理論、ニュートンは万有引力、そして私は余白に書けないことを思いつく。

どうも、こんにちは!何とかなるさ、です。突然ですが、皆さんの今日の晩御飯はなんでしたか?僕はセブンイレブンのデミグラスハンバーグとご飯を食べました。結構おいしかったです。これらを食べた後、デミグラスソースがいっぱい余っていてごみ箱に捨てられないなって思ったんです。冷蔵庫に入れて明日使おうと思い冷蔵庫に向かうと僕の視界に食パンがはいってきたのです。この時、僕は閃いたのです。残ったデミグラスソースをパンにつけて食べればいいじゃないかと!アインシュタインニュートンと同じ土俵に立てた気がします(アインシュタインニュートンさんごめんなさい)。こうして今日の僕の晩御飯は幕を閉じました。タイトルに赤字のところを書こうと思ったのですがこのタイトルの方がしっくりきます笑

起床時間の事案

今日は午前10時に起きました。まあ、いいんじゃないかって?昨日は午前9時に起きていたんです。午前9時ならまあいいんじゃないかって?大学のオリエンテーションが午前9時からで準備の遅い僕にとってこの変化は大変まずい。8時、午前8時なら間に合うと思うのでこの記事を投稿したら少しユーチューブを見て、おとなしく寝ようと思います。まあ、そうですね、小見出しでわかる方はわかるように「はなおでんがん」をみていきたいなあって思います。結構短いけど今日はこれで。最後まで見ていただきありがとうございました。

 

僕は誰とどんな友達でいればいい?

こんにちは!何とかなるさ、です!

思い入れのある物

皆さんには思い入れのある物はありますか?4月から大学に通うために一人暮らしをするのですが、住む場所がガラリと変わるので不安な気持ちが強いです。今、引っ越すために準備をしていますがずっと使ってきた布団も一緒に持っていこうと思います。思い入れのある物って側にあるととても心強いと思いません?思い入れのあるものと言ったら布団くらいで、なんかもうひとつ思い入れのあるものを作りたいと思い、お正月のお年玉で腕時計を買いました。この腕時計をできれば壊れるまでつけたいなって思ってます。使い続ける中で思い入れのあるものになればいいなと思います。なんならこの腕時計に見合う人になれたらいいなって思います。「見合う」って言っても年収がすごく高いとかお偉いさんとかじゃなくてこの時計で時間管理のできる自分になりたいです。(ならもう少し安くてもよかったかなとか思ったけどデザインがやっぱしかっこいい!)

 

僕は誰とどんな友達でいればいい?

気まぐれでこんな話をぶちこんでみました。僕は友達が少ないと思ってるのですが、数少ない友達とはだいたい僕が聞き手でいろんなことを聞いています。友達が僕に「これすごくない?」と聞かれたときにはほとんど「すごいじゃん!」と言っています。僕は本当にすごいと思っていますが、どうしてすごいのかを説明するのが難しい!このせいで僕の言う「すごい」という言葉の意味が薄れていっているような感覚になるんです。そして、そんな友達が評価を求める人に見えるのです。きっと友達は僕とそんな会話を通していろんな思いを共感したいのだろうけど僕もまたそんな人なのだろうか。

あなたはもっとも多くの時間を共に過ごしている5人の平均である。ジム・ローンさんのこのような考えさせられる言葉は日頃の人間関係を見つめなおすのにもってこいだとおもう。友達はもっとも多くの時間を過ごしているとはいえない、けれど僕は周囲の人たちに影響されやすく、僕がすごいと思う人の話し方に似てくるんですよ。だから僕は誰が僕の友達だったらいいんだろう?って考えちゃいます。小学生の時には利害関係をあまり意識せずに一緒にいて楽しい人が友達だって確信がありました。無意識に利害関係を考えてしまいますね、どうしよう。まあでも、理想の自分がよくわからないままジム・ローンさんの思考に頼るのは友達に失礼ですよね。まずは日本語の勉強をしてどうしてすごいのかを説明できるようにしたいです。理想の自分を考えるよりもなりたくない人間像をつくることから。

最後まで見ていただきありがとうございました。

 

ブログ始めます!

皆さん、こんにちは。何とかなるさと申します。気分屋なのでいろんなことを書いていくつもりです。よろしくお願いします!

ブログの名前

ブログの名前は「きっと、うまくいく」という映画を見たあとに決めたものです。この映画を知ったのは、YouTubeをされている「マコなり社長」という方の(観るだけで人生が「好転」する映画TOP5)の動画です。この映画はランチョーと愉快な仲間たちのICE工科大学から10年後のそれぞれの進路までが描かれているもので、 All is well という言葉が何度も繰り返されます。やりたいことをしていない、臆病で委縮しているランチョーの友人はこの言葉で変わり、それぞれの課題に挑戦していく姿がとても印象に残っています。3時間近くもある映画を2回見たことを映画を見る前の僕に言ったらびっくりすると思います。本当におもしろかった。

だらけた生活、唯一の希望

自己紹介はここら辺にして(ほぼ映画でしたが笑)最近の生活を振り返っていこうと思います。最近は深夜2時くらいに寝て10時に起き、12時に食事をしています。春休み前には6時起床、読書数時間、走って筋トレetc...などと豪語していましたがこの体たらく。読書数時間どころかスマホ七つの大罪のアプリを数時間(何とか”数”でカバーできてる)しているのです。まあ、これは休みなのに行きたいところが開いてないことも原因ですね、たぶん。従って今はゲームのスタミナ?が回復するのを待っているのです。こんな私ではありますが、希望もあるんです。筋トレが継続できてる!んです。10分にも満たないとは思いますが、継続できてることがとにかくうれしいんです。はじめはこんなメニューじゃ筋トレにならないかなと思っていたのですが今は下半身がいい感じに筋肉痛がきています。筋肉に効いているって勝手に思ってます。

では、そろそろスタミナが回復すると思うので今日はこの辺で。見てくれてありがとうございました!