思い出したよ!僕のエゴ。歌詞だ!

どうも、何とかなるさです!前回の記事にさらっと出して終わった話題のことになります。前回、嫌いな性格になったことを自覚したときにその嫌いな性格を持っていた他人のことに共感を持ち始める己のエゴ、とだけ書いて具体例が出てこなかったんですが思い出しました。

(僕は人の性格というのは人の物事の受け取り方、対処の仕方、行動パターンから決まっていくと勝手に思っています。)

役立たずな過去の思い出を引っ張ろうと思う。

クラスであまり目立たない人。休み時間には寝てたり、友達となにやら机に落書きをしている。その机を通り過ぎるときに、机に目をやると歌詞が書かれていた。その人がいないときには机に何が書いてあるのかまじまじと見ていた。僕にとってその曲は多分、聞いたらこれかぁ~と思うような曲だった気がする。

僕には歌詞を書いてなにがいいのかなって思っていてその人を知らないという身勝手な理由で僕の嫌いな人にしていたのかもしれない。歌詞で印象的な言葉を聞き重ねるうちに歌詞を書いた人の感性が気になってたまらなくなる。頭の中で考えても一人では歌詞を書いた人の感性には近づけやしない。机に書いて側にいる人と歌詞への思いについてあれこれ言うのはきっと楽しい!「僕も混ぜてよ」と過去のあの人に伝えたけれど僕の思いは過去の僕が見た映像に馴染まない。

すみません、なんか(ある意味)すごい文章になってしまっていました。さっきもあったように、歌詞がどんな思いや気持ちで生まれたのかを考えることは面白いことだと思いました。実は僕もまだこういうことはしたことがなくて、ブログでやろう!と思い立っていたのですが著作権が怖いのでやめときます。作詞家ってどんな感覚で詞を作っていくんですかね…。歌詞の言葉は人と人との心理的な壁をなくしてくれるような気がしたり、曲のリズムは体のどこかに沈んでいた活力を引き上げてくれるような、そんな気がします。歌詞はなにか満たされない心の埋め合わせをしてくれているなんて考えはどうでしょうか?

が~、眠い。じゃ、今日はこの辺で。最後まで見てくれてありがとうございました。