自己分析ってなんのためにするのだろう

どうも、何とかなるさです!グーグルの記事で「自己分析はするべき」や「自己分析は必要ない」っていうタイトルをみたことが何度かありませんでしたか?

僕はこういう記事は読んでて頭が痛くなるので全力で飛ばし読みをするのですが、今になってどんなことが書いたあったのか、気になったのです。気まぐれなので少しだけ自分で考えてみようかなと思ったわけであります。現段階では自己分析いらない派です。書いていくうちに心変わりするかもしれません。

自己分析をする理由は、自分の関心・興味を把握して進路がこれでいいのかを確かめる手段になるからかなと思います。模試の後に自分が何に向いているのかを調べるマークシートがあったような・・・。就職の際にもこういうのってあるんでしょうか?

自己分析は不要だと思うのは、たいていの人には心変わりがあるからだと思います。模試の後のマークシートの結果は受ける度に変わることがあったので友達と話すいい話題になっていました。

僕が読んで考え方が柔軟になった本、Think clearlyには自分の気持ちはあてにならないので重要視するべきではないとありました。我々は他人の気持ちの方が自分の気持ちよりもはるかにわかる。その章は「ビッグバーガーを食べてどんな気持ちになるかよりもビッグバーガーに何が挟まれているかの方が分かる」という言葉で締めくくられていました。

なら、マークシートは他者(多分コンピュータ)が見てくれているので自己分析の意味はあるじゃないかという話になるわけですが、心変わりは間欠泉のように起こるので自己分析が必要な人はなんだか天気の変化に敏感な性格の持ち主のように見えます。

ここまで書いて思ったのは根拠や理由がちょっとふにゃふにゃに見える(ちょっと自己分析してるし笑)ので例の記事を見ようと思いました。

 

理由を知らないことへの懺悔

今日、本当に書きたかったのはここからの話で、いい感じにつながりました(たぶん)

人の性格って案外変えようとおもえば変わると思ってます。人の性格はその人の物事の受け取り方、対処の仕方、行動を総じたものなので。天気の変化に敏感な性格・・。このようなタイプにはあったことがないのでわかりませんがこれは置いといて。

嫌いな性格って皆さんもきっとありますよね。なんでそのような物事の受け取り方なのか、なんでそのような対処の仕方をするのだろう、・・・。これは人に影響されやすい僕だけでしょうか?嫌いだったはずの性格になってしまったことがあるというのは。

嫌いな性格になったことを自覚したときにその嫌いな性格を持っていた他人の事に共感を持ち始める己のエゴ。さてはこのエゴイズムは容認されうるものなのでしょうか?

 

まあ、今日はこの辺で。最後まで見ていただきありがとうございました!